河原で食べたおにぎりと玉子焼き:古垣内求

 高い山々が聳え、川沿いに民家が点在している。民家の間を清流が海へと続いている。うなぎや鮎、小魚が棲息し、大人たちが釣りに訪れ、憩いの場となる。そんな静かな村を大型台風が襲った。僕が中学二年生のときだった。川が氾濫、田畑が姿を消し、民家が流出して、辺りは焼け野原のようになっていた。稲刈りの近づいた田園がなくなり、大きな岩が転がっていた。橋がなくなり、見慣れた家が面影もなく消えていた。
 一週間後から復旧作業が始まった。男も女も、老人も子供も麦わら帽子を被り、田の石を取り除いていく。元の稲田にいつ戻るかもしれない作業が続いた。昼飯時になると、みんなが一ヶ所に集まり食事が始まる。お互いの家族が輪になり、おにぎりを頬張る。毎日の昼食は、おにぎりと玉子焼き、それにたくわんと決まっていた。隣のテントで賑やかな家族が食事をしていた。同級生の美代ちゃんの家族だった。僕と美代ちゃんは、学校では口をきかなかった。でも、僕は美代ちゃんが好きだった。お互いのテントがそばなのに、美代ちゃんは口をきこうとしない。それでも僕は、美代ちゃんがすきだった。元気な姿を眺めていると、僕の心が落ち着いた。
 その日は猛暑日だった。「あの‥‥、これ食べる?」美代ちゃんは、竹の皮に包まれたおにぎりと、玉子焼きを手にしていた。「あたし作ったの。玉子焼きは少し甘いかも」どうしていいか分からず、僕は彼女と向き合ったままでいた。気がつくと、おにぎりと玉子焼きが僕の手にあった。不揃いのおにぎりが、ぎっしりと竹の皮に包まれていた。一個口に入れると、美代ちゃんが覗き込んできた。「美味しい?」「うん」 母の顔を見ると笑っていた。荒れ果てた河原のテントの外で、好きな女の子が握ってくれたおにぎり。美味しくて、暑さも辛さも忘れてしまった。太陽に照らされ、銀色に輝くおにぎりが僕の口の中に入っていく。途方に暮れる村人たちの中で、僕の心だけが躍っていた。
 六十余年ぶりに故郷を訪ねた。水害前と同じように、稲穂が揺れ、波を打っていた。あのとき大きな岩も、美代ちゃんの姿もなかった。すべてが過去の思い出となってしまった。長い月日が流れても、あのときのおにぎりと玉子焼きの味が忘れられない。今でも時々、妻におにぎりと玉子焼きを作ってもらう。喜寿を越えた今になるまで、たくさんの食べ物を食べたが、なぜか、あのときのおにぎりと玉子焼き、それにたくわんの味が忘れられない。

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