菜の花咲く小畑川の土手を急いで自転車で走りぬける。私の毎朝の当たり前の光景だ。
既に、中学生の娘は先に同じ土手を通り、クラブ活動に出かけている。
準備体操も終わったころかしら…きっと大会前だからもうコートに出てるはず。
この少し甘いような野花の香り、肌に触る生温い風、ちいさなちいさな虫の出現を感じると、必ず思い出すことがある。
土手のあの桜の木の陰あたり、そうそう、あまり日当たりの良くないところに土筆が生えているはず。
じいっと土筆の高さに目線を合わせるとだんだん見えてくる。やっぱりたくさん生えていた。
「やっと土筆の目線になってきた」ってよく言い合いながらスーパーの袋いっぱいになるまで必死に採った。
娘は大事にしているお人形、確か「ともちゃん」と名付けた自分の娘をベビーカーに乗せて、
私と同じように背を丸めながら土筆を見つけては、はしゃいでいた。
「ともちやん」の膝に乗せられた土筆と、娘の手に握りしめた一番長くて立派な土筆は、
もうへなへなに萎れてしまっていた。
大仕事を終えた娘は、おうちに帰ると自分の成果を満足げに、饒舌に話していたが、
眠気に負けてしまってお昼寝を始める。
私はその間、ひとつひとつ土筆のはかまを外し、灰汁を抜いて鰹のだしで煮て、卵とじをする。
夜の食卓では、春の香りとほろ苦い味が口の中いっぱいに広がった。
小畑川の堤防で娘と一緒に夢中になって土筆を採ったあの日、私は思い出していた。
小学校の春休みになって直ぐの昼下がり、母と一緒に桂川の土手に出かけたこと。
バケツをもって一生懸命に土筆を探した。他の知らない家族も来ていたので、
土筆のある場所の情報をもらったりした。長い長い土手をずっとずっと背を丸めて歩いて探した。
バケツの中はいっぱいになり、日もだんだん暮れてきたので、
母はもう帰ろうと言ったけど、まだまだ名残惜しかったのを覚えている。
私は家に帰るとやっぱりくたくたで、土筆のそうじをするのも嫌で、
自分の部屋にこもってしまったけれど、夜の食卓には、
ごま油で炒めて煮た甘じょっばいしんなりとした土筆の小鉢が並べられていた。
疲れただろうに、あの沢山の土筆のはかまを綺麗にとって仕上げてくれたんだね。
決してメインにはならなかったけれど春の優しい味の小鉢が鮮明に思い出された。
仕事が早帰りできる明日にでも、土手に自転車止めて土筆を採ってみようかな。
ごま油で炒め煮して明日の食卓の一品に並べてみようかな。
クラブから帰った娘の顔を思い浮かべたら、無性に早く会いたくなってきた。