タンポポの葉:西村美智子

 私にとっての忘れられない味は、祖母が作ってくれた、タンポポの葉の料理です。料理といっても、お浸しなどにする簡単なものですが、ずっと忘れられずにいる味なのです。
 昭和三十年代。私は小学校二年迄を、旭川市の郊外で過ごしました。戦後の開発で、農地が住宅地へと急速に変わりゆく中、我が家の前にはまだ水田が広がり、ホタルも飛ぶ、清らかな自然が残っていました。厳しい寒さの長い冬が終わり、雪解け間近の頃になると、湿った春の匂いを感じ、心が浮き立ったものです。蕗のとうや土筆が伸びきる頃、辺り一面はタンポポの鮮やかな黄色に染まり、それはそれは見事でした。今では西洋タンポポが殆どですが、昔は、丈が高く花も葉も大きな在来種が主でした。
 子供達は、タンポポの茎から出てくる白いアクの強い粘りの有る汁で手を汚しながら、冠や首飾りを編んで遊びましたが、我が家の前の水田の土手には割烹着とモンペという格好で、包丁を手にタンポポの葉を刈る祖母の姿が有りました。毎年、タンポポの花が開いて間もない、まだ葉の柔らかいうちにだけ刈るのです。家の玄関に敷かれた新聞紙の上に、刈られた葉が小高く積み上がると、母が大鍋にお湯を沸かしながら、葉を洗ってゆきます。ある時その中から大きなミミズがニョロリと出てきたので、母が悲鳴を上げて飛び上がると、祖母は笑いながらそのミミズを掴
んで外へ放り投げました。その事が有ってから、葉の中にミミズが潜んでいないかを、私が確かめてから母に渡すという大役を貰ったのです。
 大鍋で次々と茹でられたタンポポの葉は、アク抜きの為に、一晩水に浸けておきます。
翌日、その葉を固く絞り小分けにし、ご近所や水田の持ち主にお裾分けをして、大変喜ばれていました。お裾分けが済むと、我が家ではその日の夕飯にお浸しにして食べ、次の日には胡麻和えとなり、三日目には炒め物となって食卓に上ります。私は、白味噌と砂糖で味付けされた、甘じょっぱさとタンポポ特有のほろ苦さが相まった、コクの有るこの炒め物が、一番好きでした。タンポポ料理は、大人好みの物なので、子供の私が喜んで食べるのを見て家族は「子供のくせに珍い。」と笑いましたが、三つ葉やセリ等も好きだったので、口がませていたのかもしれません。
 小学校三年生になる春に、我が家は違う市に越してしまい、近所にはタンポポ畑も無く私が中学生になって直ぐに、祖母が他界してしまったので、あの大好きな味を楽しむ事はありませんでした。
長い年月が過ぎ、私はすでに六十歳を過ぎましたが、今でも、いえ今だからこそなのでしょうか。黄色いタンポポの花を見かけると祖母が偲ばれ、もうぼんやりとしか覚えていない、ほろ苦いあの味が、とても懐かしく思い出されるのです。

 

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