しょっぱかった天津麺:鈴木修一
「お母さん迎えにきたぞ。」その野太い声に促され、廊下に出た。くだらんことで町で喧嘩になり、警察に補導され5時間。固く冷たいパイプ椅子とどうしようもない空腹がきつかった。幸い相手のけがも軽症で厳重注意、母に身柄を引き取ってもらい終了となった。
廊下に出ると意外にも笑顔の母が肩を小さく小さくして、お世話になったおまわりさん達にペコリペコリと頭を下げている。そんな母が切り出した。「帰ろうか。」私は小さくうなずき、何も言わずにただ母の後をついて警察署を出た。いつもより外の景色が明るく見えた。なんだか気まずい空気のまま、二人は少し距離をとって地下鉄に乗り込んだ。何の会話もないまま、15分ほどで地元の駅に就いた。改札を出たところでやっと母が話を切り出した。「腹へったろう。ラーメンでもたべる?」。そう言うと母は小さなころから馴染みの中華屋へと向かった。
私は相変わらず気まずい思いいっぱいで、とぼとぼと母につづいて中華屋へ入った。席に着くとすぐに母は店のおばちゃんを呼び「天津麺二つ。」と早々と注文を終えた。それほど豊かではない我が家では、いつもラーメン。ただちょっと良いことや特別なことがあったときだけ天津麺を食べることになっていた。熱々の麺の上に蟹玉、そしてその上にうっすらと旨味のあんかけがかかっている。ほとんど丸一日何も食していない16歳にとってはゴクリと唾をのむご馳走だ。しかし期待とは裏腹に私の胸中はざわめいていた。「だってあんなことやらかしちまったのにご馳走ってなんだよ。」そんな胸中を読んだか、母は「食べたいんだろ、天津麺。」そうって店の奥に引っ込みかけたおばちゃんの背中に向け「ごめん、一つ大盛にして。」腹ペコのバカ息子を気遣い、元気な声でそう言った。
そして二人の前に熱々の天津麺が運ばれて来た。私は我慢できず、フハフハとかぶりついた。「うまい!」思わず声をあげた。そして声出しついでに「ごめんね・・・」。すると箸を置いて母が顔を上げた。真っ赤な顔。目にはこぼれそうな涙。それを見て私も目が潤んでくるのを感じ、それを隠すようにどんぶりにしがみつく。母はそんな私を見てハンカチで目をおさえながらこう言う。「信じてるから。信じてるからね。」私はただうなずきながら麺をむさぼる。「ゆっくり食べな。」母はどこまでもやさしく、それ故に自分の罪深さにむせるように私も泣いた。この日の天津麺はいつもよりしょっぱかったけれど、生涯忘れない「天津麺の味」となった。
そしてこの時のばか息子はなんとその後、東京の治安を守る警察官となった。