母の羊羹:福島敏真
年末年始が近づくと、毎年のように、母手作りの羊羹を思い出す。十年前に他界した母がまだ元気な時分、歳末になると彼女は買っておいた大量の小豆を、袋戸棚の奥から取り出し、大鍋で茹で始めたものだ。そして茹で小豆を漉して餡にすると、水飴寒天糖を足して、また大鍋で煮るのだ。私なんかはその鍋をほどよく掻き混ぜることをよく云いつかったものだ。大鍋がぐつぐつと煮える頃には家中に甘い香りが漂い、ああもうすぐ正月が来る、と家族が皆思った。すっかり大鍋の中が煮あがると、母はそれを幾つもの重箱に移し、暖のない仏間の隅に大切においておくのだ。こうして出来あがった羊羹は大晦日の年取りの口取りの一品になり、また正月の来客が賞味することにもなるのだ。この母手作りの羊羹はまことに美味で、家族はもちろん、正月に訪れる親戚筋にもこれを毎年楽しみにしているひともいた。
わたしなんかは口取りについたこの羊羹をすぐに年取りに食べてしまい、正月の自分の分の馳走が尽きると、こっそりと台所の包丁を隠し持ち、仏間に人の気配がないときを見計らって忍び込み、抜き足差し足重箱に近づくのだ。そして重箱の中の羊羹の四つのへりをバレないように平行に薄く切り落とすのだ。四箱の重箱のそれを皿に盛ると結構な量になり、密かな完全犯罪の羊羹をたっぷりと楽しんだものだ。わたしはそんな犯罪を子の頃毎年のように行なっていた。それは私だけの家族誰も知らない密かな犯罪であると思っていた。そしてそれは子の頃のうしろめたいが少し楽しい思い出もあったのだ。
しかし、兄弟姉妹が皆成人してある秋に父と母の長寿をホテルで祝ったとき、母手作りの羊羹の事が話題になった。その思い出話に花をさかせていると、羊羹のへりを切ってつまみ食いしていたのは私だけではなかった事が発覚したのだ。兄弟姉妹皆していたとの事であった。そして母もそのことを知っていて知らん顔をしていたとの事であったのだ。そんな一件が露見したそのときは皆で大笑いしたものであった。
父も母も小学校しか出ていなかったが、父は働き者で、母は料理上手で家事万般にたけていた。父も母も子等を慈しみ、渾身で子等を育ててくれた。二人はとっくに鬼籍であるがたくさんの温かい思い出を子等に残してくれた。特に母の羊羹の味は七十歳の今でも忘れ難い。菓子屋などで羊羹をみつけると、母の羊羹の味をまざまざと思い出す。そして父母のたくさんの思い出、また昔日の家族団欒の楽しい思い出などが懐かしくふかぶかと胸に去来する。